クリスマスの思い・祈り・省み
Christmas Musings, Prayers, and Meditations
2025年12月
主のご降誕を待ち望むこの季節、私たちは教会の皆さんに問いかけました。
「皆さんにとってのクリスマス――思い出、祈り、そして省みを、共に分かち合っていただけませんか。」
ここの6人の方々は、クリスマスに寄せる様々な思いを語ってくださいました。その一つひとつが、読む方の心を静かに照らし、祈りへと導いてくれることでしょう。どうか祈りのうちに、このクリスマスをお迎えください。今年も、祝福に満ちたクリスマスを、皆さまに。Bonne lecture de ces histoires de Noël !
主の恵みに満たされるクリスマスを、皆さまに。
英語版をご希望の方は、どうぞ教会までメールでご連絡ください。 (If you wish to read these Christmas musings, please let us know.)
《牧師の一言 文 延翼》
今年もさまざまな出来事がありましたが、主は変わらず私たちと共に歩んでくださいました。小さな光に気づく者には、小さな場所から恵みが始まります。
皆さまお一人おひとりのクリスマスが、主の平安で満たされますように。
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As we enter this season of welcoming Christ, we asked our church members a simple yet meaningful question: “Would you share with us your Christmas memories, your prayers, and your moments of reflection?”
The five individuals introduced here graciously offered their thoughts—each a gentle testimony of how God’s light reaches us in this sacred season. May their words guide your heart into prayer and quiet reflection. Bonne lecture de ces histoires de Noël !
A Triumphant Christmas to You and Yours Truly!
We invite you to welcome this Christmas in a spirit of prayer. If you would like an English version of these reflections, please contact the church office by email.
Pastor’s Note — Rev. Moon, Nubyok
This year has brought many challenges and blessings, yet the Lord has faithfully walked with us through them all. When we notice even the smallest light, grace begins to unfold in surprising places. May the peace of Christ rest upon each of you as we enter this Christmas season.
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1.光に向かって踏み出したクリスマス:キリスト者としての始まり (松本俊子)
A Christmas Stepping Into the Light: The Beginning of My Journey as a Christian
「聖霊が働かれたのね。」
私の何気ない行動を見た先輩が、ふと漏らしたその一言が、思いがけず教会へと歩み出すきっかけになりました。幼い頃に通っていた立川バプテスト教会附属の平和幼稚園の記憶が心の奥に残っていたこともあり、久しぶりにその教会の門をくぐってみようと思ったのです。そこで、少し不安を抱えながらも聖書の学びを始めました。ちなみに、その頃の幼稚園の園長先生は、立川教会の創始者でもあったディスリージ先生で、その当時教会も現在の建物の道路まで伸びていて、園庭も広々としていました。
やがて迎えたクリスマス。その年、私は大川博之先生からバプテスマを受けることになりました。「この人を教会員として受け入れますか?」という問いかけに、会堂いっぱいの手が一斉に上がった瞬間の温かさ――今思い出しても胸が熱くなります。冷たい水の中に共に入って司式してくださったご高齢の大川先生の姿、そして長老から「あなたの名前は天国に刻まれましたよ」と告げられた時の驚きと喜び。そのすべてが、私にとって忘れられない特別なクリスマスです。
あの時、迷わず光に向かって一歩を踏み出して本当に良かった。あれから11年。歩んできた道は決して平坦ではありませんでしたが、振り返ると、その始まりに立っていたあのクリスマスが今も私を支えてくれているように感じます。今年のクリスマスもまた、私にとって新しい意味をもたらす特別な日になりそうです。
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2.悲しみの中に届いた慰めのクリスマス・メッセージ (山本則子)
A Christmas Message of Comfort That Reached Me in the Midst of Sorrow
17歳のとき、私は突然の事故で父を亡くしました。受け止めきれない悲しみの中で、以前から通っていた家庭集会の先生が、そっとバプテスト教会を紹介してくださったのが、その後の歩みの始まりでした。10月末に父を失い、気持ちの整理もつかないまま迎えた12月のイブ礼拝。思い切ってキャロリングに参加すると、4歳の息子さんを亡くしたばかりのお母さんと牧師先生が、まるで私の心の痛みを分かってくださるかのように、ずっとそばに寄り添ってくれました。一緒に教会員のお宅をまわりながら讃美を歌うその時間は、深い悲しみの中で思いがけず灯った、小さな光のようでした。
ヘブル書4章15節にはこうあります。
「この大祭司は、わたしたちの弱さに同情できない方ではなく、罪を犯されなかったが、わたしたちと同様に試練に遭われたのです。」
あの夜、私の悲しみに共にいてくださった方々の温かさの背後に、主イエスの深い慰めが確かにあったのだと思います。痛みを理解し、救いへと導いてくださる主のご降誕を、今年も喜びと感謝をもって待ち望みたいと思います。
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3.もうひとつの光に気づいたクリスマス (文 延翼)
The Christmas When I Discovered Another Light
日本と韓国で育った私は、クリスマスといえば百貨店の華やかな飾りつけ、甘いケーキ、紙袋いっぱいのプレゼント――そんな“にぎやかなお祭り”のイメージしかありませんでし(笑)、子どもの頃の私にとって、それがクリスマスのすべてであり、それ以上の意味を考えたこともありませんでした。
けれど、クリスチャンとして歩み始めてから迎えたクリスマスは、まったく違う景色を見せてくれました。礼拝堂に漂う静けさ、讃美歌の優しい響き、そして人々の祈り。その温かさの奥に、「神様が永遠の命を与えるために独り子イエス・キリストをこの世に送られた」という深い真実が、ゆっくりと心に染み込んでいきました。それは派手なイルミネーションとは異なる、胸の奥でそっと灯る光でした。
今では、街中のクリスマスソングが聞こえてくるたびに、子どもの頃に感じたわくわくした気持ちと、信仰を持って初めて知った“もうひとつの光”が、静かに重なります。にぎやかな百貨店も悪くありませんが、本当に心を温めてくれるのは、あの日気づいたクリスマスの意味なのだと、年を重ねるほど深く思うのです。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
(ヨハネによる福音書3:16)
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4.甘酒の湯気とともに残るクリスマスの思い出 (大谷眞一)
A Christmas Memory Carried on the Steam of Amazake
もう半世紀ほど前のことになりますが、クリスマスが近づくと、あの夜の景色が今も鮮やかによみがえります。イブ礼拝を終えると、私たちは教会の仲間7〜8人でキャンドルを手に近所のお宅を訪ね、冬の冷たい空気を切りながら讃美歌を歌って歩きました。歌声が静かな住宅街にふわりと広がると、扉が開き、みかんやお菓子を手にした人々が笑顔で迎えてくれました。あの温かさは、寒さの中で灯る小さな焚き火のようで、胸の奥までぽっと明るくしてくれました。
教会へ戻ると、牧師夫人が甘酒の入った大きな鍋の前で待っていてくださり、
両手でカップを包み込むと、その温もりが手から心へ、ゆっくりと沁み込んでいきました。
湯気の向こうに見えた仲間たちの笑顔と、同じ歌を歌い、同じ喜びを分かち合ったあの時間――。
あの夜の甘酒は、ただ身体を温めただけではありません。
「誰かと温かさを分かち合うことこそ、クリスマスの喜びなのだ」
そう教えてくれた、忘れがたい一杯でした。
今でも、この降誕期を迎える師走の冷たい風が吹くたびに、私はそっと思い出します。
人の心に灯る光は、あのとき手にしていた小さなキャンドルよりずっと大きく、そして長く輝き続けるのだということを。
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5. すべてが動き始めたシアトルのクリスマス (笹尾敏明)
The Christmas in Seattle When Everything Began to Move
キリストを知り始めて迎えた最初のクリスマス――もう50年近く前、シアトルでの出来事でした。バプテスト学生同盟の学生寮の集まりに招かれ、「食べ物の山」、「歌」と「人の海」に圧倒されつつも、日本のクリスマスとはまったく違う、言葉にしにくい温かさに包まれていました。そして気がつけば、翌月からその寮で35人のクリスチャン男子学生と一緒に暮らすことになっていました。寮母さんが毎日3食のごちそうを作ってくれる一方、私は毎朝「静思の時」(Quiet Time)で早起きするという、新しい霊的生活が始まった訳です。(“ほぼ”毎朝である)。
その次のクリスマスには、仲間たちと市内の老人ホームや施設を訪ね、キャンディやクッキーを配りながらキャロルを歌いました。移動中のバスの中でも歌い続け、最初は驚いていた乗客たちは、最後には一緒に歌い出したのだから、シアトルの空気は本当におおらかであったのかと思います。日本の公共バスで同じことをしたら…まあ、想像にお任せします。こうした温かくて少し型破りな経験の積み重ねが、私のクリスチャン人生の始まりだったのでしょう。
6. 幼き日のクリスマスと、心に来られたキリスト (近野タユミ)
My Childhood Christmas and the Christ Who Entered My Heart
昭和25年――今から75年前、実家に初めてクリスマスツリーが飾られました。造花のモミの木に、赤いモールの素朴なサンタクロースや雪だるま、赤と白のモールをねじって作ったケイン(杖、ステッキ)、ろうそく、銀紙で作った星がいくつも吊り下げられ、てっぺんには金紙の大きな星が輝いていました。
幼い私の心に強く残ったのは、雪に見立てた綿が枝いっぱいに乗せられていたことです。
翌朝目を覚ますと、枕もとにはお菓子の入った赤い紙のブーツと、木屑の詰まった小さなクマのぬいぐるみが置かれていました。「クリスマス=サンタクロース」それが、私にとっての初めてのクリスマスでした。けれど、その後の長い年月を経て、私の心の中に、本当の意味でのクリスマス――イエス・キリストが登場するのです。